駐車場を科学する。㉑ リパークを例にとって

今日は “組織における” 新規事業開発について述べます。
私は、平成2年、事業開発室が新設されたとき、初代室長に就任しました。その当時の我が社では、「室」というのは、「部」にするには規模その他で不十分ではあるが、業務領域が独特で他とは纏められないような場合設けられた組織でその長に就いたのです。

責任者として新規事業の開発をしなければならないのですが、室長の私からして事業の開発なんてやったことがありません。
事業の開発ってどのように考えたら良いのか。


白紙から勉強することにして、あるコンサルティングファームと提携し、基本的な、フツーの方法によるアイディア出しからコンセプトの纏めまでやりました。しかし、当然といえば当然のことながらこれで一丁上がり的なコアな事業は見い出せませんでした。
マンパワーが足りなかったのです。
人事も努力してくれたと思いますが、我が社に事業開発適性のある人材なんてそう沢山いないし、人事も見抜く力なんかありませんでした。

マンパワーの不足を補うため、「社内起業家制度」というものを作り、その募集をしました。結構、応募はあったのですが、その多くは「こんな事業をやるべきだ。但し、誰かが・・・」というもので自分自身で担っていこう、という案件は稀でした。
まあそんなもんでしょうね。

どうしたもんだろう、そこで一から考えました。何故、新規事業を開発しなければならないんだろう、事業開発にどんな意味があるんだろう。
当時、経営ものは良く読んでいたのですが、会社の寿命20年説ということが言われていました。関西の商売のように商いは飽きない、牛の涎やという説もありましたが、これは別の言い方では、おできと商売は大きくしたらアカン、必ず潰れる、ということにもなり、事業は発展しません。
多角化の危険性も指摘され始めていました。バブルで各社とも珍奇な商売を始めたのは良いのですが、その会社にふさわしい成果を挙げられなかったのです。
でも黙っていたら20年説になってしまう。


私は、こう考えました。
社会的に存在意義がある会社は、その意義がある限り生きていく。その意義を全うするのに、まだ不足があるなら、その不足を補う限りにおいて新規事業の開発は正当性がある。まず社会的意義、タスクを鮮明にし、それを充足させる要素を吟味していく。その中で不十分なものがあったら、それをテーマに事業を開発しよう。不足、不十分を補う、いわばサッカーなどのスイパーの役割を果たそう。
若し、全て充足したら、次には社会的意義、使命をもうワンランク上げよう。そうすれば、当然のこととしてまた不足、不十分が出てくる。それをこなしていこう。
これが順調にいけば、無限連鎖というか経営の永久運動が成り立ち、経営に裨益するだろう、と考えたわけです。

分かりにくいと思います。次に、具体的に書きます。